日銀総裁の発言が取りざたされている。
日銀関係者が言うには、その発言のハレーションに驚いているそうな。
ハレーションとは、悪影響という意味に使われている。
つまりは、発言を撤回しようと、日銀の認識は、変わっていない証である。
物価上昇率2パーセントに固執するのは、失業率を抑えるためであるから、「家計の値上げ許容度高まっている」という発言は、結果から逆算しているのである。それを、本末転倒ということを知らないのだろうか。
日銀総裁ともなれば、頭脳明晰で、頭の良さは宇宙人並みだと思うが、どうやら、ハレーションが見えないような性質のようだ。
ハレーションという言葉は、劇団東京芸術座の文芸演出部に入団した時に初めて聞いた。40年前くらいの話である。
入団して、文芸演出部の仕事をすぐに与えられたわけではない。
照明の手伝いをさせられた。舞台を知るためということであったが、まあ、そういう面もあるにはあったが、私にとっては不本意で、いつも仏頂面をしていたように思う。
劇場の客席の天井裏に入って、照明を合わせるのだが、いつも怒鳴られた。
「幕にハレーションがあるだろうが!ハレーションを嫌え!」
ハレーションというのは、照明の明かりの、何と言うか、周りのうすぼんやりしている明かりのことを指すのだが、私の目にはそれが入らない。見えないのである。だから、当てずっぽうに照明器具を動かすと、また怒鳴られた。「なにやってんだ!客席を照らす奴があるか!」
とにかく、照明の仕事が嫌になった。そしてハレーションという言葉に腹が立った。
ハレーションが見えない、それはつまり、その仕事に向かないことのあかしだと思うのである。だったらどうするのか?やめるか、続けるなら、真摯にハレーションに目を凝らして、対策を練るべきである。
照明チーフの声がよみがえる。
「幕を避けるより、焦点を絞ってみろ。まず、ハレーションを消してみろ」
日銀総裁を主人公とした作品に少し傾いてきた。
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